名古屋高等裁判所金沢支部 昭和35年(う)181号 判決 1960年11月10日
被告人 今村一郎
主文
本件控訴を棄却する。
理由
所論は、要するに原審が被告人を死刑に処したのは量刑が重きにすぎるものであるとし、その理由とするところを第一ないし第三項目にわたり主張しているものである。よつて当裁判所は右所論に鑑み、本件記録を精査し、当審における事実取調の結果を参酌して本件に関する諸般の情状を検討することとする。
先ず、本件強盗殺人の犯行の動機について考えるに、原審で取り調べた各証拠を綜合すれば、被告人は原判示のように、昭和三十四年三月三十日富山地方裁判所高岡支部で窃盗罪並びに詐欺罪により懲役八月に処せられ、同年十一月二十三日右刑の執行を終り、出所後直ちに高岡市渡り三番地の実家に帰つたが、定職もなく不安定な生活を続けていたところから、家人等が自分のことを心よく思つておらないものと邪推し、昭和三十五年二月十日頃無断実家を飛び出して高岡市内の安宿を転々とし、徒食するうちに生活費に窮した結果、原判示第一ないし第五の窃盗を相次いで犯し、辛じて生活していたのであるが、同月二十一日頃同県射水郡大門町二口北野割二千五百五十六番地に居住する叔父夏野哲二方を訪れた際、たまたま家人不在であつたのを奇貨として家財を盗む気を起し、衣類等を持ち出して現金にかえたうえ翌二十二日頃大阪市に出掛けたものの、適当な職も見当らず、大阪市内の安宿を転々とするうち所持金も使い果した末、このうえは高岡市に戻つて纒つた金を入手し、嘗て居住したことのある横浜市に行つて職を探す外はないと考え、同年三月十二日頃再び高岡市に戻つたが、またも生活費に窮した結果原判示第六及び第七の窃盗を犯し、さらに、纒つた金を入手する目的で原判示第八記載のように、セメント百袋の騙取を企図したけれども失敗し、そこでやむなく、他に大金を入手する方法はないものかと種々思案しているうち、空腹に堪えかねて、とりあえず自己の着用していた背広上衣を入質し食費を捻出しようと考え、原判示加藤幸子方を訪れたが、入質金額について折合わなかつたため一旦同家を立ち去り屋外に出たものの、右交渉の際、加藤方には当時被害者幸子のみが在宅しているだけで、他の家族は不在であることを確認していたので、この際、横浜に行くための旅費は同女方で強取して都合するより外はないと決意するに至つたものであることが明らかであり、結局被告人の怠惰、放埓、無軌道な生活態度が原因となつて金銭に窮し、一挙に大金をえたいという身勝手な欲望に駈られたことが、本件の動機をなすものと認められるから、本件犯行の動機について被告人に同情すべき余地は極めて乏しいものといわなければならない。
次に、本件犯行の経過並びに態様について見ると、原判決の認めたごとく、被告人は昭和三十五年三月十四日原判示加藤幸子方を訪れ、自己の着用していた背広上衣を質入れしようとして同女と入質金額について交渉したが、被告人は三百円貸して欲しいといい、右幸子は百円しか貸せないといつて折合わなかつたため、一旦同家を立ち去り屋外に出たものの、右交渉の際、加藤方には当時被害者幸子一人だけ在宅するにすぎないことを確認していたので、同女から金品を強取して高飛びしようと決意し、先ず、黒色ソフト帽を冠り眼帯をかけて変装し、同日午前十一時三十分頃再び加藤方に引返して案内をこい、玄関脇の六畳間へ応接に出てきた加藤幸子に対し、恰も回家に事務所を設けている弁護士伐井甚吉に用件があつて訪れたもののごとく装い、かねて所持していた浅井滋三の名刺(当庁昭和三十五年押第七二号の十)を出し、同女が右名刺を受取りこれに目を落した隙をうかがい、いきなり同女に飛びかかりその頸部を両手で締めつけたところ、同女が抵抗したのでここに同女を殺害して金品を強取しようと決意し、その頸部を両手で力強く締めつけて一時同女を意識不明に陥らしめた後、同女を玄関から奥の便所に通ずる廊下に抱えてゆく途中、同女を取り落したところ、同女が被告人をにらむような様子をしたので、とどめをさして確実に殺害するため、自己の首に巻いていたナイロン製ネツカチーフ(前同号の四)で同女の頸部を一巻きして、その両端を両手で力強く締めつけ、さらに右ネツカチーフの余部を同女の頸部に一巻きし、結局二巻きして力強く締めつけたうえ、その両端を結び合せ、遂に右加藤幸子を窒息死亡するに至らしめたものであつて、右の犯行は当初から暴行脅迫を加えて同女から金品を強取しようという兇悪な考えに基づき、その犯行の場所、手段等についても相当慎重に考慮を廻らしたうえで行われたものであることが明らかであるから、この点において、窃盗犯人が犯行を被害者に発見されて周章狼狽の余り被害者を殺傷するに至つたとか、或は被害者から思わざる反撃に会つたためこれを殺傷するに至つたような場合とは異なり、その犯情は極めて重いものといわなければならない。とくに、被告人は白昼唯一人家を守つていた加藤幸子方を訪れ、何ら被告人に警戒心を抱かず応待していた同女に対し、いきなり飛びかかつてその頸部を両手で締めつけ一時同女を意識不明に陥らしめた後、前記のごとく、再度に亘り執拗に同女の首を締めつけたうえこれを窒息死亡させ、さらに、同女の死体を同家の大便所内に放り込んで隠匿し、その直後において大胆にも同家六畳間、土蔵等を物色して原判示のごとく、現金約二万二千三百円(前同号の二、但しその一部)及び女物腕時計一個(前同号の三、但し、金バンドは本件後被告人が取り換えたもの)並びに背広上衣一着(前同号の一)を強取したものであることも原審で取り調べた各証拠にてらし明らかであるから、右の行為は実に大胆不敵にして且つ残酷非道を極めているものというべきであり、この点において被告人の責任は最も重く、その反社会的性格はまことに許し難いものといわなければならない。
次に、本件犯行後における被告人の行動につき考察するに、被告人は原判示のごとく、昭和三十五年三月十四日原判示加藤方で加藤幸子を殺害して金品を強取した後、直ちに、変装に使用した黒色ソフト帽や眼帯を始末して追跡の手を逃れ、さらに高飛びするため一旦富山市に逃避したうえ、国鉄富山駅で同駅から長野駅までの切符を購入し、とりあえず長野でスキーやスケートを楽しむ目的で同日午後四時頃富山駅から上野駅行列車に乗車し、逃走の途中、直江律駅において警察官から職務質問をうけ、直江津警察署直江津駅前巡査派出所に連行され、同日午後七時二十分頃同所において逮捕されるに至つたものであることは原審で取り調べた各証拠に徴し明らかであり、右の事実によれば、被告人は本件犯行後自己の犯跡をくらますことと自己の欲望を追求することにのみ腐心し、いささかも本件犯行について反省悔悟を示した形跡は認められないものといわざるをえない。
さらに、本件被害者の人柄及び本件が被害者の遺族並びに社会に与えた影響について考察すると、被害者加藤幸子は二年程前に夫源三郎と別居するようになつてからは、原判示高岡市定塚町二十七番地に家族六人と一緒に居住して、専ら同女が質屋の営業にあたつてきたのであるが、もともと性格は温厚であるうえに商売熱心で、客に対する応接にも欠けるところはなく、また家族との折合もよく、その日常生活は至極円満にして平穏なものであつたことは原審で取り調べた証拠並びに当審における事実取調の結果に徴し明らかであり、かように何ら非難すべき事由もない被害者が被告人の身勝手な金銭欲に駆られた本件犯行によつて、白昼さして抵抗もないまま一瞬にしてその貴重な生命を奪われたという点は、被告人の本件犯行が残忍兇悪であることを示すものであることは勿論、右犯行に対する遺族並びに社会の憤激と問責の情が極めて強烈であつたであろうという点も容易に首肯しうるところである。とくに、本件は、平素閑静な住宅地において平穏に生活していた一婦女が唯一人家に居る間に、突如客を装つた被告人のため白昼屋内で無防備のまま絞殺され悲惨な死をとげ、且つ金品を奪われたという最も兇悪な犯罪であつて、社会の平穏を害し人心を恐怖に陥れたことは甚大なものがあつたという点も見逃すことはできない。
以上本件に関する諸般の情状、並びに被告人の非行歴及び原判示のごとき窃盗、詐欺未遂等の犯行の存在、その他量刑の資料となるべき一切の事情を綜合勘案し、さらに、現行法が強盗殺人の罪に対し死刑又は無期懲役刑をもつて臨んでいる法の精神に鑑みれば、被告人に対し極刑をもつて処断した原審の量刑は相当であつて重きに失し不当なものとは考えられない。所論の諸事情並びに被告人の年令、家庭環境、現在の心境等被告人に有利な凡ゆる情状についても十分検討を加え、その結果を考慮に容れたけれども、未だ原判決の科刑を変更すべき事由を発見することはできない。論旨は理由がない。
よつて刑事訴訟法第三百九十六条に則り本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用については同法第百八十一条第一項但書に従い被告人に負担させないこととする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 山田義盛 辻三雄 内藤丈夫)